イスラームの普遍性


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間違った宗教の帰結は重大なので、アッラーの正しい宗教は、普遍的に理解され成就されなければならず、なんらかの人びと、場所、あるいは時間に限定されたものであってはならない。また、信者が楽園に入るにあたって、洗礼、ある人を救世主として信仰する、などの条件があってはならない。イスラームの普遍性の根拠は、(人間の意志を神に従属させるという)イスラームの中心原理とその定義の中にこそあるのである。人間が、アッラーは唯一であり、被造物とはまったく違うという認識に達し、アッラーに服従する場合には、常に、その人間は、心も体もムスリムとなり、楽園に入る資格が生まれる。つまり、被造物崇拝を拒否し、神アッラーだけを信仰すれば、誰でも、いつでも、世界中のどれほど遠いところにいても、ムスリム、すなわち神の宗教、イスラムの信者となることができるのである。とはいえ、ある人が、アッラーを認識し、アッラーに服従するという場合、その人は、正しいことと間違っていることの間で選択を行なうということ、さらに、そのような選択には、責任が伴うということの二つが要件となるということに注意すべきである。人間は自分の選択したことに対して責任を負うことになり、その結果、よいことを行い、悪いことを避けるということに全力を尽くすべきことになる。最もよい行いは、アッラーのみを信仰することであり、最も悪い行いは、アッラーと共に、あるいは、アッラーの代わりに、被造物を信仰することである。この事実は、最後の啓示において、以下のように表明されている。

 

本当に(クルアーンを)信じる者、ユダヤ教徒、キリスト教徒とサービア教徒で、アッラーと最後の(審判の)日とを信じて、善行に勤しむ者は、かれらの主の御許で、報奨を授かるであろう。彼らには、恐れもなく憂いもないであろう。(雌牛章2:62)

 

もしかれらが律法と福音、そして主からかれらに下されたものを順奉するならば、かれらの上からも足許からも、必ず(豊かに)糧を与えられるであろう。かれらの中には、正義を行なう一団もいる。だが多くの者の行うところは、邪悪である。(食卓章5:66)

 

 

 

 

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