天国の悦楽(1/2)


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天国の本質とは実際にそこに入るまでは決して知り得ないものですが、神はクルアーンの中で私たちにその概要を教えてくれます。そこでは生命の性質や目的、そして人々が味わう快楽の種類が、現世とは根本的に異なるものであると述べられています。クルアーンは天国について述べ、その大いなる祝福と美を描写します。神はそれを人類へと提示しているのです。クルアーンでは天国が、人類の死後に用意された二つの道の内の一つであり、そこにおいてあらゆる善いものは望みのままになりますが、現在の私たちの限られた能力では、その規模すら推し量ることすら出来ないとします。また、天国はあらゆる祝福が完璧な形で存在する場であり、人々はその心が欲するあらゆるものを提供され、渇望や心配事、悲しみや不満、また後悔から遠く隔たれると述べます。あらゆる種類の美や祝福は天国にこそあり、それらはこれまで一度も知られ、見られたこともない、完全な形で姿を現すのです。神はこのような祝福を贈り物としてそこに用意し、それらはかれが望む人々に対してのみ供出されるのです。では、天国におけるそれらの悦楽の性質とはどのようなもので、この現世のものとはいかに異なるのでしょうか?それらの違いの一部をご紹介しましょう。

痛みや苦悩のない純粋な悦び

人々は現世においてある程度の悦びを経験しますが、同時に苦労や難儀も避けて通ることは出来ません。例えば誰かが自分の人生をしっかりと直視すれば、彼は自分の直面する困難が安らぎや快楽よりも多いことに気付くでしょう。しかし来世には困難や苦悩などがなく、人々は純粋な悦びと快楽の中で暮らすのです。現世で人々が経験する全ての悲しみや苦しみ、悩みの原因は来世において皆無なのです。それではこれらの原因の一部を見ていきましょう。

この現世における成功というものに関して考えてみると、人はそれが大きな家、高価な貴金属や衣服、または高級車などといったものを思い浮かべるでしょう。経済的安定が人生における幸福の鍵であると見なされているのです。真実とは最も遠くかけ離れているにも関わらず、 多くの人々にとって成功と富は密接な関わり合いを持つのです。我々は幾度、裕福とされる人々が惨めに暮らし、時には自らの命を断つのを目にしたでしょうか。富とは人間が本能的に欲するものであり、そう望むのは偉大かつ英知に満ちた目的によって創造されているからです。この欲が満たされていなければ、ある程度の悲しみがもたらされます。こうした理由により、神は天国の住人に対して、彼らが望むものはそれが富であれ財産であれ何でも与えられることを約束するのです。そして飢えと乾きに苦しむ貧者であれ、または裕福であっても更なる祝福を欲する者であれ、関わりなく与えられます。神はこのことに関し、こう述べています:

“・・・(そこには)各自の望むもの、また目を喜ばすものがあろう。”

(クルアーン 43:71)

“汝らは、過ぎ去った日(現世)で行った(善行の)ために、満悦して食べ、且つ飲め。”

(クルアーン 69:24)

“そこで黄金の腕輪で身を飾り、美しい緑色の絹の長い衣や、厚い錦を装い、高座にゆったりと身を託す。何と幸福な恵み。何とよい臥所よ。”

(クルアーン 18:31)

病と死

現世における別の辛苦・苦悩の原因として、愛する者の死や病気などが挙げられます。それらはいずれも天国には存在しないものです。天国では誰一人として痛みや苦しみを感じることがありません。預言者ムハンマド(彼に神の称賛あれ)は天国の人々に関して、こう述べました:

“彼らは決して病気にならず、鼻をかんだり痰を吐いたりもしないのだ。”

(サヒーフ・アル=ブハーリー)

楽園には死がありません。誰もが永遠に生き、そこでの快楽を楽しみます。預言者ムハンマドは、そこに人が入る時、彼らに対して呼び出し人が以下のように呼びかけると述べています:

“あなたが健康であり、決して病気になりませんように。あなたが生き続け、決して死にませんように。あなたが若々しく、決して老い衰えませんように。あなたが楽しみ、決して悲しんだり悔やんだりしませんように。”(サヒーフ・ムスリム

社会関係

天国の住人は、対人関係の断絶などにおいて抱く自責の念などを感じることは決してなく、中傷や批判の言葉を聞くこともありません。彼らは善い言葉と平安の言葉を耳にするだけです。神はこう述べています:

“そこでは、無益な言葉や、罪作りな話も聞くことはない。ただ「平安あれ、平安あれ。」と言う(のを耳にする)だけである。”

(クルアーン 56:25−26)

そこでは、人々の間に敵意や恨みがありません:

“われらは彼らの心の中の怨恨を除く・・・”

(クルアーン 7:43)

また預言者はこのように述べています:

“彼らの間には憎しみや憎悪が存在せず、心はあたかも一つのようであり、朝に夕に神を讃えるのである。”

(サヒーフ・アル=ブハーリー)

来世において人々は最高の伴侶を持ちます。彼らは世界において最も優れた人々なのです:

“アッラーと使徒に従う者は、アッラーが恩恵を施された預言者たち、誠実な者たち、殉教者たちと正義の人々の仲間となる。これらは何と立派な仲間であることよ。”

(クルアーン 4:69)

天国の人々の心は純粋で、善い会話をし、誠実な行いをします。そこには苦痛や怒りを与える言葉、あるいは攻撃的・挑発的な会話が皆無なのです。天国にはいかなる無価値な言葉や行為もないのです。もしも我々が現世において苦悩をもたらすものの原因を一つ一つ挙げていくとすれば、天国では確実にそれらの対極に位置するものがあるか、あるいはそれらの不在が真実であることを見出すでしょう。

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